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君に届け 映画 感想


きみとど the movie 毒感想2(毒吐いてます。閲覧注意)

2010.10.21  *Edit 

「君に届け」って絶妙なバランスで成り立ってて、ちょっと見一方的に爽子が助けられてる物語に見えて、実は爽子に与えられてるのは「自己開示のきっかけ」でしかなくて、それまでの「尋常じゃないほどの人間バカ」爽子の切ないほどの人に手を伸ばし続けている努力がベースにあるスポコンに近い物語なのよ。

よく読んでおらんと爽子がただ施されるだけのシンデレラに見えるかもしれんけど、それじゃあこんなに「おうえんしたい欲」はそそられないの。

君に届けの中毒性を持った核は再三言うけど「黒沼爽子」というキャラクターの妙にあるの!

爽子自身が頑張ってて、その境遇にも関わらず「いつも自分で立ち上がる強く優しい爽子」に風早と一緒に恋をしていくのが君に届けの中毒性なの。
だから爽子が幸せになるのを確かめずにいられないような切実さに駆られるわけだ。

そこが王道に見える少女漫画の道具立てながら、あれだけのヒットにつながった原因なのよ!

さて君に届けの中毒性=爽子の中毒性といっぱい延べて来たところで映画の爽子と漫画の爽子の差異を見ていきましょう。
風早が爽子に惹かれるポイントの差異を並べてみました。

映画

監督はなんで爽子が女の子にも「かわいいかわいい」言われるかわかってない。
女の子の嫌うものは、同じ女の「媚」と「依存心」なんだっつーの!爽子には全くそれがないからこそ女の子の支持をとりつけてんだよ。
爽子を依存心の強い待ち受け姫にして世の中の待ち受けお嬢さんに自己投影させる作戦かよ。( `д´) ケッ! オリジナルでやれ。それか二次創作ですって公言しろ。きみとどオフィシャルの名を冠すな。
あと「畏れらてる」と「嫌われている」「いじめられてる」の区別がついてないよ。
似て見えるけど、前者なら風早の「誤解されてるだけだから、もっと自分を開示していったら」というアドバイスは誠に的を射たものだけど後者なら何もしていない(むしろ善行しか働いていない)爽子が嫌われてるなら、風早のアドバイスなんてなんの意味もないじゃん。
あとクラスメイトの良心のあり方もおかしいだろ。(少なくともそれを隠そうともしないのは頭おかしい。「畏れてる」なら異世界の住人だと認識されてるから排除されるのもわかる。でも「陰気だから」嫌われてるのならもう少し偽善ちっくに上から目線で優しくしてあげようと思うエセ善人はいるだろ)
爽子には「畏れられる」理由はあっても「嫌われる」理由はない。そしてもうひとつ「いじめられてる」なら爽やかに笑う風早王子は全然爽やかじゃないだろwなに呑気にいじめ放置してんの。いじめカッコワルイ。

この爽子の改悪はたべちゃんの演技というよりは脚本だとやっぱおもう。

ビクビク対人恐怖の逃げっぱなし姫がたべちゃんの「これが爽子だ!」って主張に基づくんなら仕方ないけどなw

具体的に言えば
1)爽子の陰気さを際立たせる事に固執しすぎて「爽子の喜び」が全然表現できてない。だから爽子が媚びるためや強制されて人の役に立とうとしているわけではない、本当にじぶんがやろうとおもってやってるということが観客にわからない。
「ほめことばっ」も俯いてぼそぼそ言っちゃだめだよ。爽子には「けなす」発想がないからその言葉が出てきたことに驚いて本気で「プラスの言葉」だと伝えなきゃ!と反射的に思った言葉なんだから。
爽子の言葉の「ほんとうさ」「誠実さ」が表現できてないんだよなあとにかく。
終始爽子は人間に怯えててほんとうにイライラした。怯えがあるにしても爽子はいつでも眼の前のひとに誠実に誠実に対応しようとしてたろ。映画爽子はなにかっちゃ逃げの姿勢で、後ろ向きがデフォルトかよ!と思った。
「それだけは何の誤解もありません!」と「間違った事はしてないもの…」の二つをなぜ削った…。
やのちづの誤解を解こうと「噂している人」を探してとめようとする爽子をなぜ削った。爽子のずれたアホ可愛いところと愚直さと誠実さが一度に示せる良エピソードなのに。

2)爽子が風早に恋をし、その切なさや嬉しさに白い花が色づき仄かに紅を乗せて開いてく様な初々しさが全然描けてない。爽子の中のやのちづと風の差異がわからないよあれじゃ。爽子が風早に心動かされた瞬間をもっとポイントポイントで丁寧に描かなきゃ。
なぜ「いいの。何もしてくれなくてもいいの」をカットした。なぜカットした!
あの瞬間、爽子が恋を自覚してふわりと開いていくあのシーンが成功すればあとはもう自動キュンキュン装置が働くそれくらい重要なシーンだぞ。

あれがないから爽子が風に「恋愛感情」を自覚してるというのが観客にわからないんじゃん。
爽子が最後に風の告白から逃げる(爽子の至誠からしてありえないけどな)のは風への思いが大事すぎて逃げるという場面なはずなのに、子供が新しい事をはじめるのを怖がってるようにしかみえない。
爽子には臆病な部分もあるけど、それは全般じゃない。むしろ今まで呆れるほどにアグレッシブだった(一見そうはみえないけど、爽子なりにアグレッシブなつもりだった)爽子が風早への思いの大きさに失ったらどうしようとはじめて怯えるからキュンとくるんだろうが

色々言いたいことはあるけど、この辺でやめとく。
最後にこの写真を貼っておこう


thumb_350_07_px350_convert_20101024172209.jpg

たべちゃんです。この透明感と存在感。爽子じゃね?
(異論もあろうがwたべちゃんは生命力と愛嬌がありすぎるのだ爽子にしてはw)
ビジュアル面では十分爽子に化ける事が出来たと思うのになあ…

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~ Comment ~

NoTitle 

おつかれさまです。なつさんの原作爽子への愛をとってもとっても感じました。辛さが伝わってとっても切なかったです・・・。

アタシは原作以外はすべて二次だと思っているので、脳内でいいとこ取りして楽しんでいました。風景とか空気感とか人間の動きとか表情とか。現実世界でのリンクを楽しんでいたというか 。自然の中や日常に人としておいてみるということが出来てうれしかったです。私は自分の生きているカラダや心全部で感じる世界が時々すごく綺麗に感じて、そういうことがとってもうれしくて存在していることがたまらなくなることがあるんですけど、そういうたまらなくぎゅっとできる時空間を原作爽子さんと共有できている感じがしてうれしかった~。(・・・ッて、↑この文章すごくウザイですね。すみません。)とくにロケ地が今すんでいるところと同県なのでなおさら身近感ありました。

夏の匂いとか空気とか楽しむ爽子ちゃんの感性はたまらなく好きです~。爽子の実は誰よりも攻めな侍なところも、大好きです。でも、だれよりも人を大事にするからけっして押しつけがましいところがないから、自分にのみ厳しいところも、誠実過ぎて痛々しい美しさも愛しいです。そして、だから、なつさんが指摘したポイントは実はアタシももれなく引っかかっていました。で、密かにかっがりしたところ。前半の原作ストーリーのなぞっただけの場面までは正直かなり映画に入り込めず、乖離していた自分を残念がっていました。ストーリーが変わってきてからは何とか入り込めていけたけど、やっぱり納得いかない自分はどっかにいました。

作り手が変われば、そして媒体が変わればそれはもう別もんです。逆に、公式でなくても堂々の二次であったとしても、同じように自分の心の琴線が触れればそれはアタシにとっては心の中では原作と同じ位置にくる物語になってしまいます。たとえ原作者が変わらなくても書き続ければ作品の(自分にとっての)本質が変わっていくこともあるし、そうなってくると、自分にとっては違う作品ということもありえます。物語は人が人に語るものだから、発信側と受信側のこころのなかで個人的に完結してしまう、という側面は確かにあるとおもうんです。もちろん、人に愛され読まれつづける作品はそれだけにはとどまらない普遍性とカリスマ性が混在しているんだけども。

人の心のあり方や作品をに触れたときの魂のスペックとか精神性の高さとか成長度合いとか、人それぞれ違う。爽子の本当の良さや風早の渇望に多くの人が気がついていたりするのなら、世の中もうちょっと住みやすいです。(笑)そんで、そういうのに気がつかない人、必要としない人は、ほんと見事に気がつかないし、必要としないし、わからない。同じ作品が受け手によって本当に違う作品になってしまう。

映画という金も人の手も大がかりな媒体はわかりやすい中庸による傾向は強いと思います。
マンガはその点、作者の思いを形にするためにあまり人を要しないし、失敗のリスクも映画にくらべてほとんど無い。絵の表情やビジュアルと台詞とストーリーというものすごくわかりやすいマンガという媒介。個々人で手にとってじっくり一人で読み込み、口コミで自分の萌え語りを自分と同じような感性の友達に広めたり出来る。ある程度人気があれば作者がゆっくりと何段階にも複線を張れる。高度なものから単純な先読みのできるものまで。だから、わかる人にさえわかればいい的な高度なところから、誰もが納得できるわかりやすい複線まではった奇跡的に綺麗な物語ができちゃったりするんだと思います。

ああ、今回もだらだら長くなってる~。そして趣旨がずれてきている・・・。修正します。

えっと、つまり。
「君に届け」の世界は何重もの奇跡がキラキラしている世界で、それに触れる一つの手段として映画は成功しているのではないか、と思うのです。人は成長するし、登場人物のくるみだって、けんとだって物語のはじめは、映画並みの浅さだったと思います。爽子も風早も物語が進んできて複雑な美しさをまとうわけだし。登場人物とリアルな読み手をごっちゃにしているアタシは相当頭悪いです。ごめんなさい。長くなって収集つかなくなっています~(T^T)

んー、と。
そのものがたりを読む読み手の成長や程度によって、どの媒体が心の琴線にふれるかわからない。それに媒体の種類が多ければそれだけその物語を知らない人がそれに触れる機会は多くなるし、それで気になったりしたら、原作や小説や二次を読んだり、自分のなかでいろいろ考えてもっと深いところまで行ける。私は多くの人にこの世界をしってほしいし、自分に照らし合わせて感じたり感がえてほしいので、媒体が増えるのは単純にうれしいのです。

そういえば、アタシもきっかけはアニメでした。あれがきっかけで原作に行き、小説にいき、二次にたどり着いたんですけど。(;^^)ヘ..アニメは映画なんて目じゃないくらい秀逸でしたがねー。色彩感覚がもううっとりだ・・・。

ということで、とりとめがなくて、ごめんなさい。
今回の感想もとても良かったです。
また感想やおはなしを楽しみにしています。
ではでは(゜゜)(。。)ペコッ

その意見もわかります 

つか楽しんだもの勝ちでしょ、って気もするんだけどね。

始終爽子爽子言ってるわたくしめのよーな爽子マニアにあわせて映画作るわけにもいかんのだし。
ただ映画という一本の作品としてみた場合、あの素材を使ってこのダイジェストかよ!みたいな憤りはあるわけですよ。オフィシャルなんだから「あーこれがきみとどか」と通ってしまう怖さがあって。
きみとどってストーリーの起伏で魅せる類のものではないから、味わいがわからぬ人には「たいした話じゃない」と言われてしまう。その側面が強く出てしまったというか、きみとどの持つ味わいをかなり薄めて形だけきみとどにした結果、退屈で起伏のない平板な作品になったと思うのですよ。

で「この料理(きみとど)はそんな浅い味わいの料理ではないわ!」
となるとw

> 「君に届け」の世界は何重もの奇跡がキラキラしている世界で、それに触れる一つの手段として映画は成功しているのではないか、と思うのです。

> そのものがたりを読む読み手の成長や程度によって、どの媒体が心の琴線にふれるかわからない。それに媒体の種類が多ければそれだけその物語を知らない人がそれに触れる機会は多くなるし、それで気になったりしたら、原作や小説や二次を読んだり、自分のなかでいろいろ考えてもっと深いところまで行ける。私は多くの人にこの世界をしってほしいし、自分に照らし合わせて感じたり考えて欲しいので、媒体が増えるのは単純にうれしいのです

空気感や距離感や色彩はかなり良いものでしたね。それをふまえればきみとどのプロモ、あるいは俳優のプロモとしてはよくできていたと思います

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントありがとうございます! 

> 私も映画は微妙でしたね(笑)

なんでああなったとしか言いようがないです( ´ー`)フゥー...

> 爽子がすごく罪な女の子で風早が原作以上に可哀相で途中見るのが辛かったです・・・。

ただの鈍感で天然な子ですよね、あれじゃ。爽子の鈍感には理由があるのに、それが描かれてないから
なんかやな感じで

> 多部さんも微妙でしたね(^。^;)

多部ちゃんはすごく好きなのですがwでも爽子はあってなかった。

爽子のキャラがキミトドの核ですからねー。爽子の希少性と愛さずにいられない不器用さがあって
はじめて群像劇が生きてくるんですよね


サイトがおやすみだったので返信がおくれてすみません

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